亀田製菓の社長はなぜインド人?(5つの理由)歴代社長や交代の真相も気になる!
亀田製菓のインド出身の
会長ジュネジャ・レカ・ラジュさんが、
インタビューで日本は移民受け入れするべき
だと答え、ネット上で騒がれました。
インド出身の亀田製菓会長
(引用:Yahoo!ニュース)
「日本はさらなる移民受け入れを」
実際私も社長ではなく
会長がインド出身の方
だとは知りませんでした。
果たしてジュネジャ・レカ・ラジュさんとは
どういう方で、
『なぜ亀田製菓のトップになったのか?』
『亀田製菓はなぜインドの方を会長に据えたのか?』
『これから亀田製菓はどこに向かっているのか?』
など真相が気になったので調べてみました。
最後までよろしくお願いします。
亀田製菓とは
亀田製菓は、お米を使ったお菓子
(あられやおせんべい)を作っている会社です。
戦後の食べ物が少ない時代に、
「みんなが楽しめるお菓子を届けたい」という
想いから始まりました。
代表的な商品は「亀田の柿の種」や
「ハッピーターン」などで、日本の米菓市場で
約30%ものシェアを持つリーディングカンパニーです。
お米はアレルギーが少なく、健康的な素材として
海外でも注目されています。
亀田製菓は“ライスイノベーションカンパニー”と
いうビジョンを掲げ、
お米の可能性をさらに広げることで
「おいしさ」「健康」「感動」を世界中に届けていくことを目指しています。
亀田製菓の歴史
亀田製菓のあゆみ(歴史)を「お菓子の歴史」として一覧表にまとめました。
創業から続くエピソードや商品の登場年なども紹介します。
お菓子の歴史(主な商品・出来事)
年(西暦) | 年号 | できごと・発売商品 |
---|---|---|
1946 | 昭和21年 | 新潟県亀田町で「亀田郷農民組合委託加工所」を創業(最初は水あめ製造) |
1957 | 昭和32年 | 「亀田製菓株式会社」を設立 |
1961 | 昭和36年 | 「サラダホープ」発売 |
1966 | 昭和41年 | 「ピーナッツ入り柿の種」発売(大ヒット) |
1972 | 昭和47年 | 「ハイハイン」発売 |
1976 | 昭和51年 | 「ハッピーターン」発売(大ヒット) |
1977 | 昭和52年 | 「梅の香巻」「フレッシュパック柿の種」発売 |
1985 | 昭和60年 | 「揚一番」発売 |
1986 | 昭和61年 | 「まがりせんべい」「ぽたぽた焼」発売 |
1989 | 平成元年 | 「海苔ピーパック」発売 |
1993 | 平成5年 | 「つまみ種」発売 |
1994 | 平成6年 | 「ゆめごはん」(ヘルスケア事業)発売 |
1996 | 平成8年 | 「えびっぷり」発売 |
1998 | 平成10年 | 「海老のりあられ」発売 |
2000 | 平成12年 | 「ふっくらおかゆ」発売 |
2005 | 平成17年 | 「手塩屋」発売 |
2008 | 平成20年 | 「技のこだ割り」「堅ぶつ」発売 |
ハッピーターン、
柿の種、ぽたぽた焼き
昔から私も大好きです^^
ポイント:
水あめ作りからスタートし、お米のスナック(米菓)にシフトして大成功。
特に「柿の種」や「ハッピーターン」は大人気。
現在は年間売上800億円を超える米菓
トップメーカーに成長しました。
亀田製菓の社長はなぜインド人(5つの理由)
にまとめられました。
まずは会長のジュネジャ・レカさんの経歴です。
年(西暦) | 出来事・役職等 |
---|---|
1984年 | 大阪大学工学部に微生物学の研究員としてインドから来日 |
1989年 | 名古屋大学大学院 生命農学研究科 博士課程修了 |
1989年 | 太陽化学に入社(取締役研究部長、国際部長などを歴任) |
2003年 | 太陽化学 代表取締役副社長に就任 |
2014年 | ロート製薬に転身取締役副社長兼 最高健康責任者(CHO)子会社社長を兼務しグローバル事業を推進 |
2020年 | 亀田製菓 副社長に就任 |
2022年6月 | 会長CEOに就任 |
– | 現在70歳 |
⓪40年間日本で暮らし、帰化している
ジュネジャ・レカさんは
1984年に大阪大学工学部に研究生として入学して、
以来40年間、ジュネジャ氏は日本で暮らしており、帰化して日本国籍を有しています。
大阪大学を出て
40年も日本いて、
帰化している方だとは
思いませんでした!!
①前会長からの誘いがあった
ジュネジャさんは
大阪大学での研究後、太陽化学やロート製薬で
バイオテクノロジーや微生物の応用研究に携わっていました。
ある日、亀田製菓の
「2050年に向けて会社がどうあるべきか」を
話し合う会で、
当時の田中通泰前会長から『亀田製菓をどう思うか?』と質問されました。
その際、ジュネジャ氏は次のように答えました:
・『亀田製菓はなくならない会社』
・『人が生きるためには必ず食がいる。
それに一回食べたらまた食べたくなる
ような美味しさ、食感を持っている会社
です。』
と答えたようです。
この発言が評価され、後日、会長から直接入社の
オファーを受けたそうです。
ジュネジャ氏は「まさか自分が入社するとは思わなかった」とまるで他人事のように笑って述べています。
さらに、ジュネジャさんは、
若い社員と話して将来性を感じたから
とも話していて
亀田製菓で若い人たちと話してから、会社の可能性や将来性を感じて入社を決めたようです。
「運命というかご縁というか。田中通泰前会長に誘われて、亀田製菓の若い人たちとお話をする機会があったのです。
(引用:GOETHE)
とてもたくさんのアイディアと可能性、躍進の種を持っているなと感じ入社を決めました。
そもそも亀田の柿の種は大好きでして、ずっとカバンの中に入っていたんですよ(笑)。
昔からインドに帰る際やアメリカ出張の際はお土産として亀田の柿の種を持っていっていましたが、どこに行っても大人気でしたよ」
若い社員に
アイディアと可能性、
躍進の種を感じたようです。
②「亀田の柿の種」の大ファンで、食にまつわるものが大好きだから
ジュネジャさんは入社前から、亀田製菓の
「柿の種」が大好きで、インドに帰国した際にも
好評だったことが大きなきっかけで入社を決めました。
一般的に、日本のお菓子はインド人から「甘さが
足りない」と感じられることが多いそうですが、「柿の種」は例外で、現地の人々や他国の人々にも喜ばれたとのことです。
この経験を通じて、ジュネジャさんは「柿の種」の海外展開を意識し始めたと語っています。
・会社に入社する前から「亀田の柿の種」の
大ファン。
・インドに帰国した際にお土産に必ず「亀田
の柿の種」を持って帰るくらい好き。
・柿の種がどの国にもっていっても喜ばれる
商品だと思えた。
・そもそもジュネジャさんが、食にまつわる
ものが大好きだ。
③日本の食文化の特長が世界でも評価される可能性を感じたから
ジュネジャ氏は、日本の食文化が持つ「繊細さ」「美味しさ」「健康的」といった特長に注目しました。
特に和食や米菓は、日本独自の魅力を持ち、世界でも高く評価される可能性があると考えていました。
亀田製菓の米を使った食品の強み
米を使った食品は、アレルギーの心配が少なく、
健康志向が高まる中で注目される分野です。
ジュネジャさんは、亀田製菓の技術を活かして、
こうした食品を世界中に届けたいと考えました。
④亀田製菓のグローバル展開へ共感したから
ジュネジャさんは
亀田製菓が中国やアメリカなど海外に拠点を持ち、世界市場を目指している姿勢に共感しました。
日本の食が世界でまだ開拓の余地があると考え、自身の国際経験を活かしてこの挑戦に貢献したいと
感じたのです。
⑤【番外編】―息子がおにぎりが大好き
因みに
別のインタビューで、
ジュネジャさんは息子さんがおにぎりが大好きだ
というくらいコメ文化が好きでした。
いつも「何を持ってきてほしい?」と聞くと、「おにぎりを持ってきてください」と言うんです。
(引用:logmiBusiness)
【TOPインタビュー】 亀田製菓代表取締役会長CEO ジュネジャ・レカ・ラジュ氏
(引用:菓子食品新聞)
業界初! インド出身のCEO
BEIKAの技術で社会ニーズに応える!
亀田製菓の歴代社長と歴史!
年(西暦) | 年号 | 人物・出来事 |
---|---|---|
1946 | 昭和21年 | **古泉 栄治(こいずみ えいじ)**が「亀田郷農民組合委託加工所」を創業最初は6名でスタート |
1957 | 昭和32年 | 「亀田製菓株式会社」を設立(古泉 栄治さんが中心人物) |
1983 | 昭和58年 | 創業者 古泉 栄治さんが会長に、古泉 肇(こいずみ はじめ)さんが社長に就任 |
1984 | 昭和59年 | 新潟証券取引所に上場(後に東証二部、東証一部へ) |
2000 | 平成12年 | 古泉 肇さんが会長、金津 猛(かなづ たけし)さんが社長に就任 |
2005 | 平成17年 | 中国に新工場を設立(世界進出を加速) |
2015 | 平成27年 | 田中 通泰(たなか みちやす)さんが会長、佐藤 勇さんが社長に就任 |
2017 | 平成29年 | 会社設立60周年を迎える |
2020 | 令和2年 | インド出身のジュネジャ・レカ・ラジュが副社長として入社 |
2022 | 令和4年 | ジュネジャ・レカ・ラジュ副社長が会長CEOに就任 |
ポイント:
創業者・古泉 栄治さんが米どころ新潟で起業。
試行錯誤の末、お米を使ったお菓子づくりに成功し、一代で日本を代表する
お菓子メーカーへと育てました。
その後も社長・会長が代わりながら、
海外にも進出しています。
2022年からインド出身のジュネジャ・
レカ・ラジュ副社長が会長CEOに就任
亀田製菓の社長交代の真相は?
亀田製菓の社長交代の真相は、
会社として
日本の米菓・食品市場と、海外の米菓・食品市場をそれぞれ伸ばし、前進するためにCEO(会長)としてジュネジャ・レカ・ラジュを迎え入れたからだと
言えます。
収益の柱である国内米菓事業を縮小均衡で進むというつもりは全くありません。
(引用:フードニュース)
むしろ、成熟しているように見える米菓市場ですが、まだまだ伸びる余地はあると考えています。
ジュネジャさんもCEOになる上で、社員4,000人と会いに行き、自身が全社員の生活を背負う覚悟を
一人一人に話していったとも語っています。
「入社して2年間、副社長として社員とはコミュニケーションをとっていたつもりです。
(引用:GOETHE)
けれど、いざ外国人がCEOになったとなると、少なからず不安に思う社員もいたでしょう。
私が全社員の生活を背負う、その覚悟を見てほしい。
そう思って日本各地の拠点を周り、社員一人ひとりへ挨拶をしに行ったんです」
日本がそして、亀田製菓が大好きで覚悟を持ってCEOになったと思いました。
その覚悟とまるで日本人のような
行動は感動してしまいます。
自身がインドの方という事も忘れて、日本でインドの方を見ると、『インドから来た人かな、珍しいな』と
まるで日本人のような感想を思ってしまうようです。
「日本でインドの方を見かけると、自分のことをすっかり棚に上げて、“インドから来た人かな、珍しいな”と思ってしまうんです(笑)」
(引用:GOETHE)
日本人以上に
日本が大好き
かもしれません^^
まとめると、
真相は
亀田製菓が国内・海外の米菓や食品の可能性と
将来性を信じ、40年間日本にいて実力もある
ジュネジャ・レカ・ラジュさんを迎え入れ、海外にも目を向けた事業を目指していくための社長交代だったと言えます。
まとめ
まとめです。
【まとめ】
亀田製菓の社長がなぜインド人なのか?【5つの理由】
⓪40年間日本で暮らし、帰化していた
①前会長からの誘いがあった
(若い社員の将来性)
②ジュネジャさんが「亀田の柿の種」の
大ファンで、食にまつわるものが
大好きだから
③日本の食文化の特長が、世界でも評価
される可能性を感じたから
(亀田製菓の米を使った食品の強み)
④亀田製菓のグローバル展開へ共感した
から
⑤【番外編】―息子がおにぎりが大好き
[亀田製菓の歴代社長!]
一覧表で確認してください。
[亀田製菓の社長交代の真相は?]
亀田製菓が国内・海外の米菓や食品の可能
性と将来性を信じ、40年間日本にいて実力
もあるジュネジャ・レカ・ラジュさんを
迎え入れ、海外にも目を向けた事業を目指
していくための社長交代だった。
[亀田製菓のこれから]
米菓を中心に国内・海外にまで目を向け、
グローバルに日本の文化を世界中に販売
していく。
でした。
これから先の亀田製菓の成長が目に浮かぶようで楽しみです。
記事を書いていたら
柿の種とハッピーターンが
食べたくなってきました^^
これも美味しそう!!
決して亀田製菓所属では
ありません(笑)
記事を書いてたら
食べたくなってきました。
最新の情報が更新されましたら、
随時修正していきます。
そして、
ハッピーターンを
買いに行ってきます。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました^^
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